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2007 09,19 01:37 |
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映画感想の前に連絡事項。本サイトの日記にアクセスできません。拍手返事、もうしばらくお待ちください(ぺこり)
というわけで、マイケル・ムーアの話題の最新作を鑑賞してきた。 公式サイト 製作国=アメリカ 姉の評価=★★★★☆(白星は★0.5) まさか、ムーアで泣く日が来るとは思わなかった・・・(笑)。アメリカの医療問題を扱ったドキュメンタリー。マイケル・ムーアと言えば、日本でも『ボウリング・フォー・コロンバイン』や『華氏911』などでおなじみだ。今回ムーアは、得意技の“アポなし突撃インタビュー”をほぼ封印し、実際に医療保険のトラブルで悲劇に見舞われた方たちの体験談を中心に、作品を仕上げた。作中、ムーアの顔を見ることが、前作より極端に少なくなっている。正直驚いた(笑)。確かに客観性は薄いし、「ヤラセ」と言われれば「そうなのかな」と思ってしまうシーンもなくはないのだが、フィルムに収められた、被害者の方々の涙だけは現実だ。良質ではないかもしれないが、とても「良心的」な作品であることは間違いない。終盤に差し掛かる頃には、劇場中から啜り泣きが聞こえてきた。 アメリカという国では、医者にかかるのに莫大な金がかかることは知っていたが、なぜ金がかかるのか、実は理由を知らなかった。アメリカには健康保険が存在しない。民間の保険会社も、人間に対する医療保険なのに、感覚はほとんど自動車保険と一緒。しかも国民皆保険を「社会主義的」だと言い張るお国柄だったりするから始末が悪い。私自身、胃の切除手術で二ヶ月ほど入院していたことがあった。ウン百万かかっただろう入院費も、実費はほんの40万。それも、30万ぐらいは社会保険や共済で戻ってきた。それが当たり前だと思ってきた私は、この作品を見て戦慄した。アメリカに生まれなくて、本当によかった。私を日本人に産んでくれた両親に感謝したい気分だ。 でもこの問題、実は対岸の火事ではないことを、日本人は忘れてはならない。この作品を見て、「日本の未来だ」と思った方も多かっただろう。年金制度の実質的な崩壊に、上がるばかりの医療負担・・・。次の閣僚になる政治家たちを招集して、強制的に試写会をしてやりたいと思った。 ★5つでもいいとは思うのだが、やはりちょっと通り一編な感じは否めないので、0.5減としてみた。アメリカの医療制度の実態を、カナダ、イギリス、フランス、キューバなどと比較していたのだが、「こっちはタダで医者にかかれるからいい国だ」と、それしか言っていない様な感じは確かにしたので。 今までのムーアの攻撃的な作風を期待する方にはかなり物足りないかもしれないが、私はこの作品が好きだ。『ボウリング・フォー・コロンバイン』と同じぐらい。 ≪余談≫ 帰りにロビーでパンフレットを立ち読み。デーブ・スペクターがエッセイを寄せているのを読んで、ますます彼の印象が悪くなった。曰く、「ムーアはジャーナリスト失格だ。なぜなら、事実やデータを意図的に落としている。アメリカの医療技術は世界最高の水準にある。現に世界中の金持ちが、アメリカの医療技術を求めている」。な、何を言ってるんだこいつは??それとこれとはまるで問題が違うだろ。たとえどんなに技術が高くても、それで人を救えなかったら無いのと同じではないのか。どんなに流暢な日本語をしゃべろうと、結局彼もただのアメリカ白人なんだな、と思った。重病人が、入院費を払えないという理由で道端に捨てられるアメリカより、技術が低くても、国民全員の「予防医療」を心がけているキューバのほうが医療的に優れているの、はデータ的にも明らかなのだ。 PR |
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2007 09,18 01:15 |
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思えば、中東の映画を劇場まで観に行ったのは、これが初めてだ。
公式サイト 製作国=イラン 姉の評価=★★★★☆(白星は★0.5) どちらかと言うと問題提起型の映画なのかな?と思って観に行ったら、それ以上に多くのユーモアも盛り込まれている、楽しい作品だった。今回、この作品の批評を拾い読みして、初めて「セミ・ドキュメンタリー」という言葉を知ったのだが、まさに言い得て妙である。ドキュメンタリータッチで、実際にあっただろう話を描いているのに、意図的に楽しませようとしているのが判る演出があったりして。臨場感があるのに映画としても楽しい作品だった。そして勿論、問題提起という意味でも。 イランでは、女性がスタジアムでサッカー観戦することが許されていない。それでも祖国チームのワールドカップをかけた戦いを応援したい少女たちは、男装し、スタジアムに紛れ込もうとする。この極端な性差別を問題として取り上げてはいるのだが、「権力vs少女たち」という単純図式ではなく、権力を行使する軍人たちには軍人たちで、それぞれ事情を抱えているというイラン社会の現状にも言及している。一瞬、ワールドカップを通じで心を通わせたかに見えた軍人と少女たちだったが、結局お互い相容れる存在ではなかった、というオチも、皮肉が利いててよかった。 面白かったのだが、イランの社会情勢を訴える映画としては、どうにもインパクトが薄かったように思われる。その部分で★0.5減としてみた。 個人的には、スタジアムへ向かうバスの中の描写も気に入ってたりする。女の子が混じっているのに気づきながらも、見て見ぬふりをする男の子たち。代表チームを応援したい気持ちは一緒なんだと、男の子たちが理解してくれているのが、とても嬉しかった。 実を言うと、サッカーにまるきり興味のない私(ドイツのW杯を、開催一ヶ月前まで知らなかった・苦笑)。祖国にあんなにも虐げられている少女たちが、「イランばんざぁい!!」と大声を張り上げて連呼しているのに、ちょっと違和感を感じた。W杯行こうがっどうだろうが構わないではないかという、“サッカー的非国民”の私には、多分到達できない境地だったんだろうなぁ・・・(汗) |
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2007 09,15 14:52 |
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久しぶりの韓国映画は、久しぶりのシネカノン有楽町での鑑賞となったこの作品。
公式サイト 製作国=韓国 姉の評価=★★★★ 久しぶりに、とても気持ちのいい涙を流したな・・・と思った。特に真新しいものもなく、タイトルや予告編から想像出来るとおりのストーリーが展開されただけの映画だったが、とにかく終盤から涙が止まらなかった。予想通りの(期待通りの)ラストにも勿論号泣。韓国映画って、こういう「思い通りの展開になってくれて嬉しい」と思わせるような作品が結構多いような気がする。人間の、根本的な情に訴える作品作りが上手い土地柄なのだろうか。 小さなピアノ教室を営む落ちこぼれピアニストと、天性の音楽の才能に恵まれた悪ガキの孤児のお話・・・と聞けば、まあストーリーは多くを説明することもないと思う(笑)。期待通りの展開となってくれたことも嬉しかったが、この作品を鑑賞してよかったな、と思うのは、やはり音楽の存在である。作中で演奏されるクラシックの名曲の数々が、本当に素晴らしい。ここまでガッツリと、ドップリと、音楽を楽しませてくれる映画は『北京ヴァイオリン』以来だ。このところ、こういう音楽を楽しめる映画がめっきり減ってしまったので、ある意味新鮮でもあった。とにかく音楽に関しては期待以上の出来栄え。特にラストの、オーケストラをバックにしたピアノ協奏曲は聴き応え満点でオススメ。 だが、初盤かなぁり酷いベタベタな演出も多く、「あ、こりゃ失敗したかも」と思ったのも事実。そこのところで★ひとつ減としてみた。音楽と人情を同時に楽しみたいという、欲張りな方は劇場にどうぞ!(笑) |
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2007 09,02 23:55 |
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久しぶりにアジア映画を観に行った。
公式サイト 製作国=中国 姉の評価=★★★ いやぁ・・・申し訳ないやら情けないやら悔しいやら。実は眠気と戦ってた記憶が一番鮮明だったりする。最後まで寝ることはなかったが、「寝ちゃダメだ~~」と最後まで食いしばっていた。ここのとこアジア映画をスクリーンで観る機会がなかったので、ものすごく楽しみにして観に行ったのに・・・(涙)。久しぶりの文芸系の映画で、その類の作品を観る勘が鈍っていたのか、あるいは睡眠不足か(実を言うと育児疲れで、娘と離れているだけで反射的に眠くなる身体になってしまった)。★三つは、作品に対する懺悔の気持ちでつけた。 長江の三峡ダム建設のため、水没することになる街、奉節。解体作業が進み、既に水の底に飲まれてしまった地区もあるこの街に、男は妻を捜しに、女は夫を探しに訪れる。多分ちゃんと観てれば、興味深い群像劇になっていたと思われる。この二人の主人公は最後まで何のつながりも持たないが、二人の間を埋める人間関係が面白い。そしてその中に、現代中国の社会問題の数々が垣間見られる、という作品である。奉節に生きる人々の、絶望と生活の息吹が、多分生き生きと描かれていたのだろう。 それにしても・・・情けない・・・無理に時間を作って観に行ったのに・・・。昔は寝不足の映画鑑賞は、迷わずにカフェイン(錠剤)を飲んだものだが、もうあの頃みたいに若くはないしな・・・(苦笑)。 |
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2007 08,16 01:32 |
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ああ、やっと『ハリポタ』最新作の感想が書ける・・・もうそれだけで、嬉しさいっぱい感動いっぱい、である(笑)
公式サイト 製作国=アメリカ 姉の評価=★★★★ 久しぶりに採点に悩んだ作品になった。気持ちとしては★3.5でもいいかな、と思うのだが、前記の『フリーダム・ライターズ』より点数を低くしなくてはならないほど酷い映画でもない。結果、『ハリポタ』シリーズ全てへの敬意を払い、愛しのダニエル・ラドクリフへの贔屓点として★0.5増やしてみた。かなり甘めの評価なのは重々承知。 正直な感想を言ってしまうと、『賢者の石』から『炎のゴブレッド』と、四作品にわたって成長し続けてきた作品が、ここで突然成長を止めてしまったような印象を受けた。『炎のゴブレッド』のマイク・ニューウェルの映画作りがしっかりしていた分、尚の事そう感じてしまう。今回のデビット・イェーツ監督はTVシリーズや短編映画出身の方で、今回が長編映画デビュー作になるという。イェーツ監督自身の将来性は充分感じる仕上がりにはなっていた。しかし、私の大好きな『ハリポタ』シリーズであるなら、ベテランとまでは言わなくても、もう少し映画を作りなれている方に撮っていただきたかった、というのが本音である。 以下より、ネタバレを織り交ぜながらの感想になります。お嫌じゃない方だけ反転させてください。 (ネタバレここから)今回、「成長を止めてしまった」と感じる一番の要因は、コロンバス時代に少し戻ってしまったかのような、不必要な原作への配慮である。例えば屋敷しもべ妖精のクリーチャー。原作では重要なキーキャラだったが、映画で登場させた意図がまるで理解できない。『炎のゴブレッド』ではトビーを切り捨てるという英断さえ行ったというのに。巨人のグロウプもセストラスも同様。原作では箒がアンブリッジに没収されていたという理由でセストラスでロンドンまで飛行することになったが、映画ではそんなこと一切触れられていない。原作未読の方は「何で箒で行かないのか」と首をかしげたことだろう。その他、トレローニ先生ののエピソードや、ケンタウルスの出番など、キュアロンやニューウェルだったらあっさりと切り捨てていただろうくだりがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、終盤の盛り上がりを削いでしまっているように感じた。こんな風に前監督と比較してしまうのはあまりいいことではないと理解してはいる。しかし、『ハリポタ』のシリーズとしての成長を楽しみにしていた身としては、残念で仕方ないのだ。 とは言え、この作品には素晴らしい部分も沢山あった。特に、ハリーがジェームズの知られざる過去を知ってしまうシーンが挿入されていたのは本当によかった。一見、削除してもよさそうにも感じるが、終盤の、ハリーの内なる戦いの重要な伏線になっている。素晴らしい人物だと信じていた父親が、実は過去酷い人間だったこともあった。どんな人間にも善と悪の部分がある。ハリーは自分の悪なる部分も受け入れて、尚且つ自分の闇に打ち勝つ。「父親に似ている」と言われ続けてきたハリーが、父親の影から脱却した、という描写にもなっている。 終盤のハリーを観て、『スターウォーズ エピソード3/シスの復讐』のアナキン・スカイウォーカーを連想した馬鹿なファンは私だけだろうか?(苦笑)まさにダークサイドとの戦い。アナキンにも、ハリーほどの賢さと愛を信じる力があったら、あんなことにならなかったろうに、などと考えたり。あのシーンのダニエル・ラドクリフの演技には、感動のあまり涙を流してしまった。ダニエルの演技だけでいったら6作中最高だと思う。ゲーリー・オールドマンと、杖を並べて戦っているシーンにも感動。あの戦闘シーンは娯楽大作として一番の見せ場だと思うのだが、思ったよりもあっさり目の仕上がりだった。個人的に残念である(笑)(ネタバレここまで) 演出の話をすると、オープニングやハリーのイメージフラッシュのシーンなどは、短編を作り慣れている監督さんらしい持ち味を感じてよかった。オープニングなど、一瞬誰もが『ハリポタ』だとは思わないだろう、というぐらいダークで驚いたが、逆にド肝を抜かれて気持ちがよかった(笑)。イメージフラッシュも臨場感があって最高。音楽は、ウィリアムズとはとても思えないぐらい地味で「どうした?!」と思ったが、前作より作曲家が変わっていたことに今更気がついた。うーむ、ウィリアムズ、ガチンコで『ハリポタ』作曲はもうしてくれないのだろうか??また『アズカバンの囚人』みたいな素晴らしい楽曲を聞かせて欲しい。 大好きなシリーズなので文句も散々書いたが、シリーズのファンの方には楽しめる作品となっていると思う。ただ、前作と比べても(原作と比べても)ダークな作品になっているので、くれぐれもご注意を!勿論映画版『ハリポタ』として、合格点はつけておきたい。 |
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