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2008 04,15 22:45 |
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ちょっと前の話。『ダージリン急行』を観に行った時のこと。若手新鋭ジェイソン・ライトマンがアカデミー監督賞にノミネートされたことで話題になった『JUNO/ジュノ』の予告編に、こんなことが書いてあった。
“只今、劇場窓口で前売りチケットをお求めいただいた方全員に、 妊娠検査薬型クリーナー付き携帯ストラップ をもれなくプレゼント!” 前売りチケットを劇場で購入すると、何かしらのおまけが付いてくるのはよくある話だが・・・ 要るかよ、そんなもの・・・ そういえば、“初日鑑賞プレゼント”なんてのも、最近の映画じゃよくやってるなぁ。入浴剤とか紅茶とか、それなりに嬉しいものもあったが、『メルシィ!人生』の初回でコン○ームが出てきたときは流石に引いた(確か協力企業に相模ゴムが入ってた。内容が内容だけに・苦笑)。そこいらに捨てるわけにもいかず、家に持って帰って、当時の彼氏(今の旦那)に不審がられたという、馬鹿馬鹿しいこともあったっけか。 オマケも結構だが、頼むからもうちょっと考えてくれないものだろうか。と言うより、オマケつけるぐらいなら、100円でも映画安くしてくれたほうのが、消費者としてはありがたいのだが。 『JUNO/ジュノ』の予告編後、劇場が失笑に包まれたのは、言うまでもないだろう。 『JUNO/ジュノ』公式サイト PR |
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2008 03,24 01:09 |
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久しぶりに、映画雑話のカテゴリーを更新したくなったので、します。
「いやぁ、映画とラーメンだけは、しょうがないって。」 これは、『スターウォーズ』の話をファンの連中としていて口論になりかけた時、間に割って入ってくださった方の言葉である。解釈がどうの、描き方がどうので「エピソード3は是か非か」を語り合ってるうちにヒートアップしてしまったSW狂共の熱を、この台詞は一瞬にして冷やしてしまった。これを聞いたのはだいぶ前の話だが、今でも鮮明に記憶に残っている。あの時口論が一気に終了してしまったのは、それが、その場にいる全員に納得のいく言葉だったからに違いない。「映画とラーメンの好みだけは、千差万別で相いれることはない」・・・要するに、そういうことである。 ラーメンは、私の大好物でもある。私が好きなのはみそ味。野菜は多めで、麺はあまり太くないほうが望ましい。できればコーンのトッピングも欲しい。バターが乗っていれば尚可。しかし「ラーメン通」を自称する旦那に言わせれば、そんなものは邪道らしい。太麺じゃないみそなんてあり得ないし、そもそもラーメンでみそ味なんて邪道。野菜は麺の触感を阻害する邪魔者。コーンなんてもってのほか。「ラーメンの味のわからない愚か者」と結婚以来、旦那は私を誹り続ける。しかしどんなに主人が私を味覚バカと糾弾しようと、私はみそ味を注文し続ける。自分の「ベストなラーメンの食べ方」だけは変えられない。映画の好みも、それと一緒。 ひとつの例として、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』を挙げたいと思う。以前、ダウンタウンの松っちゃんが、著書『シネマ坊主』の中でこの作品を絶賛しているのを読んだことがある。曰く、「主人公のおっさんが、子役に食われてないねん。たいてい子供の出てくる映画って、子役においしいとこ持ってかれるけど、最後までおっさんが笑かしてくれた」(うる覚えです・汗)。とても面白い感想だと思った。笑いの「製作者」としての視点から映画を観ると、こんな感想が出てくるんだと。自分にはない視点なので、いい参考になったと思った。 しかし、私の知り合いで、この作品に完全に「NO」を突き付ける人間もいる。彼女は私の歴史学科の頃の友人で、この時代のドイツに関心が高く、実際にアウシュビッツを見に行った経験もある。「なんか違う。あんなのはいんちきだ。」・・・彼女の言い分も、私には理解ができる。ベニーニ演じるユダヤ人の父親が、収容所の中で息子を守り続けるという内容の本作。私も当時の史料に多少触れたことがあるが、強制収容所の中で、そんな芸当をすることは完全に不可能だ。『シンドラーのリスト』などをご覧いただければ、その理由はわかっていただけると思う。加えて、収容所での生活の描写。ジャム付きのパンなと食べてるシーンもあるが、収容所の中のユダヤ人たちに与えられた食物と言えば、せいぜい腐ったジャガイモぐらいである。ベッドも三段の狭い中に、10人ぐらいのユダヤ人がぎゅうぎゅうに押し込まれていたらしいし、ましてや放送機材を勝手に使用するなんてあり得るわけがない。 私自身は、「娯楽を目的としたヒューマン・コメディ」だと最初から割り切っていた。それなので、所見はものすごく感動したし涙も流した。「でも、実際に収容所経験したユダヤ人の方がご覧になったら怒るだろうな」・・・そんな注釈を、心の中に置きながらではあったが。だが、史実を重視し、歴史的メッセージを付加することをこの時代を扱った作品に望む彼女は、私のように注釈を付けて映画を観ることも、ダウンタウンの松っちゃんのような視点で鑑賞することも、できなかったのである。 この三人の評価、誰が一番正しいかといえば、誰も正しくなんかない。ラーメンの好みを妥協できないのと同じように、それぞれの視点を変えて映画を観賞することなんかできない。視点は、それぞれの経験、体験、生活環境や境遇の違いでいくらでも変わってくる。だからこそ、他人の視点での感想を聞くことが、面白くてたまらない。 みそ、しょうゆ、しおにとんこつ・・・色々な味があるから、ラーメンは多くの人に愛される。映画もそれと同じである。ラーメンを食する人の数だけこだわりがあるように、観客の数だけ視点がある。だから多種多様な映画が作られ続けている。 |
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2007 12,31 00:38 |
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今年もとうとう大晦日。恒例のことなので、今年劇場まで鑑賞しにいった映画の総決算をやろうかと。
1位『バベル』 2位『善き人のためのソナタ』 3位『中国の植物学者の娘たち』 4位『ラストキング・オブ・スコットランド』 5位『フランシスコの二人の息子』 ==== 次点『シッコ』『魔笛』 今年は23本と、ここ数年の中で一番酷い鑑賞記録となってしまったため、あえて5位までしか選出しなかった。とは言っても、この5作品はすんなり決まった。特に『バベル』と『善き人~』は何の迷いもなし。『バベル』は、こういう作りこんだ作品を鑑賞できるのは、映画ファンとして至上の喜びだと思ったし、『善き人~』は、ラストの感動が、本当にかけがえのないものだと感じた。今年は、いまいち心に「突き刺さる」作品との出会いが少なかったが、それでもこうした上質の作品にめぐり合えて本当に良かったと思う。 鑑賞本数は少なかったが、ドキュメンタリーからオムニバス、南米、中東、アジアの作品と、幅広く鑑賞できたとは思う。強いて言えば、今年はコメディ系の映画をほとんど観ていなく、それが残念だった。また、『ヘアスプレー』や『セフテンバー・ボーイズ』など、どうしても観たかったのに見逃した作品も多い。来年はどのぐらい鑑賞することが出来るのか、今から不安である。 来年は愛しのヘイデン・クリステンセンの『ジャンパー』の公開のある年。今から興奮が抑えきれない(笑)。今年一年、本当にお世話様でした。来年も、皆さんに、素敵な映画との出会いが多くありますように!! |
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2007 07,15 23:43 |
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遅ればせながら、今年が半分過ぎていたことに気付き、上半期決算を慌ててしてみることにした。
1位『バベル』 2位『善き人のためのソナタ』 3位『ラストキング・オブ・スコットランド』 4位『フランシスコの二人の息子』 5位『不都合な真実』 今年は半年で11本という、近年で最悪の鑑賞実績となってしまった。悲しいばかりだ。残り半年でどのぐらい巻き返しが出来るのだろうか。劇場に行く時間が欲しい(涙) 順位に関しては、1、2位は何の迷いもなく決められた。この二本に関しては、今年のワンツーフィニッシュになるかもしれないというぐらい、心に揺ぎ無く残っている。特に『バベル』は本当に作りこまれた映画で、久しぶりにいい映画に出会えたと思っている。3、4位はほぼ同列。フォレスト・ウィッテカーの演技に敬意を表して『ラストキング~』を3位にした、という感じ。あのアミン大統領は必見もの。5位は、自分でもまさかのドキュメント映画。ここまで見応えのあるドキュメントは『ボウリング・フォー・コロンバイン』以来だ。 時間がなく、作品を絞って観に行ったにしては、「これ!」という傑作にあまりめぐり合わなかった気がする。勿論上記5作品は自分の中でかけがえのない作品として残っているのだが。ムーアの新作ドキュメントやダニエル・ブリューユの『サルバトールの朝』、ハリポタ5作目なども控えている残り下半期に期待したい。 |
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2007 05,01 01:12 |
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今年は、『スター・ウォーズ』が本国アメリカで公開されて30周年になる。本国では記念切手の販売もされたりという盛り上がりからも判るとおり、ファンにとっては記念すべき年となっている。私も自他共に認める『スター・ウォーズ』(以下SW)ファン。折角映画のブログも持っていることだし、公開日となる7月ぐらいまで、便乗してSW関連の記事を立ち上げさせてもらおうかと思う。
しかし、30周年記念と銘打っておいて何なのだが、今回の記事については、あまり気持ちのいいものにはならない。そのことを、まず初めに断っておこうかと思う。 このブログでも事ある毎に書いてきたが、私は「SWファン」が大嫌いである。しかし誤解しないでいただきたいのは全てのファンが嫌いなわけではないということだ。私が嫌いなのは、SWでも「オリジナル旧三部作」と呼ばれる作品のファンの、その中の一部である。 ファンの間では、SW映画作品は大まかに以下のように分類されて語られている。 「オリジナル」・・・1977年から1983年までに劇場で公開されてた旧三部作。“エピソード4~6”に当たる。 「特別編」・・・1997年に製作者ジョージ・ルーカスによって修正が施され劇場上映された旧三部作。 「DVD版」・・・2004年に発売された旧三部作のDVDボックス。特別編より更に修正が加えられている。 「新三部作」・・・1999年から2005年にかけて公開された“エピソード1~3”に当たる作品。 私が生まれて始めて鑑賞したSWは“オリジナル”である。1988年頃、レンタルビデオで借りて観た。その後、1997年の“特別編”で初めてスクリーンで鑑賞し、“DVD版”も購入済み。勿論“新三部作”も全て劇場まで観に行った。 私はSW誕生より遅れること約15年後に初めて鑑賞したが、1977年当時から現在に至るまでファンをやっていると言う方も少なくない。そういう方の中には“オリジナル”への思い入れが強すぎるあまり、それ以降の“特別編”“DVD版”“新三部作”の全てを受け入れられない、という方もいる。私が嫌いなのは、その中でも「バッシングに言葉や対象を選ばない」連中である。 映画ファンであれば、“特別編”や“新三部作”が、一部のファンから猛バッシングを受けていたことを、少なからずご存知のことと思う。勿論、“オリジナル”への思い入れが強いことは悪いことではない。バッシングするのだって個人の自由だと思う。 それが、作品自体に向けられているものでさえあれば。 しかし、この「一部の“オリジナル”ファン」は、バッシングの対象に“特別編”や“新三部作”のファンまで含んだのだ。 「SWファンなら新三部作をバッシングするべき」――――これは、ある“オリジナル”ファンが「エピソード3」公開当時言い放った言葉である。要するに「新三部作をバッシングできないものはファンに非ず」ということだ。何という暴言だろう。映画は製作者のものかもしれないが、感想は個人の所有物だ。そのひとつひとつに合否や優劣をつける権利など、一体誰にあるのだろうか。 こうした「個人の感想」へのバッシングは“特別編”の公開された1997年当時から行われていた。インターネットでファン活動を始めて以来10年、私はそういった暴言をうんざりするほど聞いてきた。 「特別編ををこんな風に解釈するのは間違った見方だ。」 「新三部作のファンだと言い張る奴は根性がある。」 「新三部作擁護派の意見が、バッシング派の俺の言い分より正しいわけがない。」 「DVD版を好きだと言う奴なんかいるわけがない。」 しかし言うまでもない話だが、特別編や新三部作からファンになったという方は大勢居る。新三部作を観て、続きが気になるから旧三部作を観てみたという方だって居る。特別編や新三部作のファンは別に根性でファンをやっているわけでもないし、擁護する為にファンをやっているわけでもない。DVD版が好きだと言うファンだって、勿論いる。 そういったSWファンは、「間違った見方」で映画を観ていたと言うのだろうか? そもそも「映画を観る目」に、「正しい」や「間違い」などあるのだろうか? SWはいつからパレスチナになってしまったのだろう・・・その頃、“オリジナル”ファンの“特別編”や“新三部作”ファンに対する暴言は、そう思わずにはいられないほど辛酸なものになっていた。私はそれ以来、“オリジナル”ファンとはあまりかかわりを持たないよう努めるようになった。私は宗教戦争をやる為に、SWファンになったわけではない。 正直に話すと、『エピソード3』の公開当時、私自身は徹底したジョージ・ルーカスのバッシングを行っていた。キャラクターの行動に動機付けが薄く、結果、人間ドラマで構成される折角の最終章が台無しになってしまったと感じたからだ。これは消費者として映画を鑑賞した観客にとって、当然の権利だと思う。しかし、そんな私の言動を不快に感じたと訴える方がいらっしゃれば、それを真摯に受け止め、「何故バッシングしたのか」をご理解いただけるよう丁寧に説明させていただくという作業も、決して忘れはしなかった。勿論そうした方とは、お互いの相容れぬ感想を尊重し合えるようになった。 私が「公開30周年記念」の第一回目にこの記事を選んだ理由は、これからSWの話をあれこれさせていただく前に、自分がファンの中でもどのような位置に居るのかを明らかにしておきたかったからである。私は“オリジナル”からSWファンをやっているが、“特別編”も“新三部作”も大好きだ(流石にDVD版はちょっと・・・)。ましてや、SWで「宗教戦争」をしたがるようなファンとは、まるで違うものである。 SWファンの方と、SWについて色々語り合うのはとても素敵なことだ。例えそれが、私自身の感想と相容れぬものであっても。お互いに、それを寛容な気持ちで受け入れあう事が出来る限り。 |
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