2024 05,19 04:21 |
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2008 06,04 00:05 |
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ヘイデン・クリステンセン目的に鑑賞して来た(笑)。
公式サイト 製作国=アメリカ 姉の評価=★★★★ 1960年代のニューヨーク、ポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホルのミューズとなったイーディ・セジウィックの波乱の人生を描いた物語。と、解説どおりに説明してみたが、実を言うと、アンディ・ウォーホルについては「キャンベルスープの缶が沢山並んだ絵を描いた人」ぐらいのことしか知らず、イーディ・セジウィックに至っては名前すら知らなかった。ボブ・ディランから公開差し止めを要求されたり等、好ましくない話も多かったらしいが、伝記映画としてはまずまずの出来なのではないのだろうか。若干ヘイデンへの贔屓点で甘口にしてあるが、まあ★4つでいいのではないかと思う。 旧家の子女だったイーディが、芸術を志してニューヨークへ。そこでアンディと出会い、お互いに感性を刺激しあう、友情以上の絆で結ばれる。そこに現れるのが、イーディが「心から愛した唯一の人」と語るロック・スター。彼との情熱的な恋は、アンディにとっては裏切りだった。アンディとの間に大きな溝を作ってしまったイーディには、転落の人生が待っていた。 どこまでが事実でどこからが脚色なのかは判らないが、映画としてのストーリーの作り方、ストーリーの見せ方は、かなりよかったのではないかと思う。伝記映画の中には、偉人の人生を「あれもこれも」と盛り込みすぎて、結局何が言いたいのか良くわからなくなってしまってるのも少なくない。この作品からは、イーディとアンディの関係、イーディの生き様を描こうという「映画としての姿勢」を感じられた。事実との間に相違があるのかも知れないが、個人的にはこういう作り方の伝記映画は好きだ。所詮、人の人生を二時間で納めることなんて不可能なのだ。それなら、多少の相違があっても、「その人物の何が語りたいのか」を明確にしてある作品のほうが良い。 イーディ・セジウィックは、まさに駆け抜けるように時代を走りすぎた。そしてアンディ・ウォーホルとの間には、恋人同士のそれに酷似した絆があった。そんな女性が60年代に確かに存在していた。この作品からは、そんなイーディの走りすぎるような生き様、彼女の生きた60年代の息遣いなどを、熱烈に感じることが出来た。 ヘイデンに関しては、『ジャンパー』よりもはるかに素敵な彼を観ることが出来て大満足だった。個人的には、大作で主演をつとめる彼より、小さな作品でも、味わいのある映画に出演している彼のほうが好きみたいだ。彼の出演シーンの一秒一秒を、噛み締めるように観てしまった(笑) 自分に芸術の知識が全くないせいか、イーディ・セジウィックという女性の存在を知っただけでも、ためになる映画だと思った。イーディやアンディ・ウォーホルに詳しい方がご覧になったら、まるで違う感想が出てくるのかもしれないが。彼女にほんのちょっとでも興味の沸いた方がご覧になるのに良いのではないのだろうか。 PR |
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2008 05,27 01:18 |
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ご無沙汰してしまいました。5月に入って、劇場で二本、TVなどで三本鑑賞。暇を見て、順次感想更新していきます。
まずは、久しぶりに劇場まで観に行った邦画となったこの作品。 公式サイト 製作国=日本 姉の評価=★★★★ 実はTVシリーズが大好きで、すっかり杉下右京のファンになってしまっている私。同じくシリーズのファンだという友人と鑑賞した。この手の映画は、出来そのものより「制作され、公開されることに意義がある」という部分が大きいので、正直この作品も、どの程度の仕上がりになるかとても心配していた。しかし、TVシリーズからの映画としては、かなり良い作品になっていたと思う。満点とまでは行かないが、文句なしの合格点だ。 この作品は、『相棒』ファンとそうじゃない人、どちらも楽しませなくてはと、非常に気を使った作りになっている。乱暴な言い方をすれば、前半は「TVシリーズを知らない人を楽しませるためのパート」で、後半は「シリーズのファンのためのパート」という感じ。前半は、とにかくアクション、アクション、アクションなのに反して、後半は『相棒』クオリティ全開。正直、映画の作り方としては違和感が残るし、「これでいいのか?」と疑問を感じるが、劇場に来た全ての観客を満足させるための苦肉の策だったのかな、と今では思う。★ひとつ減にしたのは、この違和感と、「楽しませなくては」と気を使うあまり、細部に甘さが残ってしまった節があるからだ。 以下、ネタバレ感想になります。 (ネタバレここから)『相棒』の魅力のひとつには、実際に起こっている社会の矛盾や疑問を題材に取り上げていることが挙げられる。今回取り上げられていたのは、架空の国名を使ってはいるが、数年前に起きた「イラク邦人人質事件」であるのは明らかだ。度の過ぎたマスコミの報道やバッシング・・・あれは間違いなく、日本人が反省しなければならない事件だ。 個人的なことになるが、当時、Web上の日記に「人質になった彼らに出国許可を与えた日本政府にも責任はある」といった中身で、“嫌がらせバッシング”に反発する書き込みをした。それに対し、親しかった友人からメールが来た。それは、私の認識不足と知識不足を攻撃的に糾弾する内容のものだった。私はそれにとてもショックを受け、三日三晩寝ることが出来ないほどの傷を、心に負った。そしてその傷は、現在に至るまで完治していない。 あの人質事件では私のように、当事者以外にも傷つけられたり、あるいは人生を狂わされた人が沢山いた。「あの事件を忘れてはならない」・・・予告編の言葉どおりだ。この作品は、年月と共に完全に風化してしまったあの事件を、観客に思い出させる。それだけでも、充分存在意義のある作品だと思う。 とは言え、やはり細部の甘さには、ちょっと目を瞑りきれない部分も多くあった。何より、あの父親が犯人だと言うのが中盤からバレバレだったのが、個人的には物足りなかった。ほんの端役が犯人かもしれない・・・と、騙されるのを期待しながらTVシリーズを観ていたファンは、特にそう思ったのではないだろうか? 『相棒』ファンとしては、「小野田さんの回転寿司」「船を操舵するイタミン」「右京さんを救出する薫ちゃん」と、思わず胸熱くなるサービスが満載で、とても嬉しくなった。TVシリーズのキャラクターも、無理のない形で端役出演してくれてたし。ただ、片山雛子・・・彼女の役回りだけが非常に不満。あれじゃただの「いい人」じゃん。何の裏もなく、あんなことする女じゃないのに・・・(苦笑) TVシリーズをご覧になってなくても楽しめる作品だとは思うが、やはり少しでもシリーズに触れてから鑑賞なさるのをオススメしたい。勿論『相棒』ファンの方は是非! |
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2008 04,14 00:41 |
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先日『モンゴル』を観に行った後、門限(笑)まで時間があったため、時間の都合だけで選んで鑑賞して来た。
公式サイト 製作国=フランス・ベルギー 姉の評価=★★★★ 私の大好きな『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』の原作者エリック・エマニュエル・シュミットの初監督作だという。何度かこのブログでも書いたが、基本的に「文章書きの撮った映画」というのを、私は信用していない。しかし、劇作家として多くの経験のためか、あまり「精一杯」感のない、のびのびした作品になっていた。小粋で可愛らしくて、楽しい映画だった。 主人公オデットは、小説家バルザンに夢中な、中年未亡人。ゲイの息子とニートの娘と、娘のろくでなしの彼氏と同居中。バルザンのサイン会に浮き足立ったり、彼のことを考えて夢見心地になったりする描写が、何というか、身に覚えがありすぎて、すぐさまオデットが愛おしくなってしまった。私も、ジリアン・アンダーソンの出待ちで並んでいたとき、あんな感じだったよなぁ、とか(笑)。これは、そんなオデットが周囲に幸せを振りまいていく姿を中心に描いている。リズム感のある演出の助けもあって、観ているうちに、宣伝文句どおり「幸せのレッスン」を受けているような気分になってしまった。 しかし、どうしてもこの映画に満点をつけることは出来ない。理由は勿論、ラストである。途中までは完全に満点だったのに、あのラストのせいで台無しにされてしまった。以下ネタバレ感想になるので、お嫌じゃない方だけ反転を。 (ネタバレここから)「私の人生を通り過ぎていく人だから」・・・オデットの、バルザンに言ったこの台詞は、彼女をとてもしっかりした、現実的な女性なんだと印象付けてくれた。現実の世界でしっかり生きている彼女だからこそ、作家に恋して幸せな気分になれるし、周囲を幸せに出来るんだと思っていた。だからバルザンの奥さんに「ご主人を尊敬してあげて」と言って諭すシーンには心を打たれたし、編集者への言葉も説得力があった。そうしてみんなを幸せにしてくれたのに、どうしてラストで、バルザンとくっついてしまったのか・・・?彼の奥さんと子供はどうなったのか?本当にベルギーとフランスの遠距離恋愛成立するのか?折角幸せな気分で終われそうだったが、台無しである。 劇中の「イエスさん」は、人々に“与える”役割のあるオデットの象徴なのだと思っていた。「イエスさん」が横たわっている傍にオデットが倒れた時、彼女もそのまま死んでしまったらどうしよう??と心配した。そうならずに良かったと思う反面、消化不良が収まらない。シュミット監督は、「イエスさん」とは違って、オデットに自分だけの幸せをつかんで欲しかったのだろうか。今まで幸せを与えてきたご褒美として。(ネタバレここまで) ここまで散々書いたが、それでもオデットの「癒しの効果」だけは抜群である。気張らずに、ちょっと息抜きしたいときにでもご覧になるのに良いと思う。 |
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2008 04,08 00:36 |
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封切り二日目に鑑賞。
公式サイト 製作国=ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル 姉の評価=★★★★★ 私は昔から12~13世紀あたりのモンゴルの歴史に興味があり、歴史学科の卒論を、この時代の婚姻をテーマにして書こうかと思っていたこともある(教授に「辞めたほうが良い」と言われたので諦めたが・苦笑)。だからと言ってこの作品を観るつもりは当初なかったのだが、以前鑑賞した『ベアーズ・キス』のセルゲイ・ボドロフの監督作だと知って、観に行くことにした。★5つつけたが、本音の評価をすると、 映画ファンとしての評価=★★★★★ 歴史ファンとしての評価=★★★☆ という感じになる。「ああ、久しぶりに“大作”と呼べる映画を観たー!」と満足感に浸る一方、「史実にこだわる方にはオススメできないな」とも思った。ここは映画のブログなので、映画ファンとしての評価を優先させたというわけだ。 まず圧巻なのは、そのスケールの大きさである。製作4年のうち、2年を撮影に費やした本作。モンゴル自治区やウイグル自治区での本格ロケで撮られた、モンゴルの雄大な大地・・・そのロケーションが、テムジン(後のチンギス・ハーン)の人間的スケールとあいまって、観客を圧倒する。あちこちのレビューで戦闘シーンが絶賛されている通り、終盤の、テムジンvsジャムカの戦いは素晴らしかった。あそこまで質の高いアクションシーンを、ハリウッド作品で観られなくなったのいつからだろう?と思わず首を傾げてしまったほどだ。勿論それだけではなく、例えば衣装のような小さなものにも妥協がなくてよかった。 この記事のためにチンギス・ハーンのことを簡単に調べなおし、本作が「元朝秘史」にかなり忠実に脚本を起こしている事を知った。だからこそ、歴史ファンとしては納得のいかない部分も多々ある。例えば、テムジンが西夏で長く幽閉されていたと言うくだり。西夏(公式サイトでは“架空都市タングートと表記。タングートはチベット系民族のひとつ)は、テムジンが初めて落とした国であり、テムジンが幽閉されていたという話は聞いたことがない。それに、幾度も出てきた「モンゴル人」という単語も納得がいかない。当時の遊牧民たちに、自分たちを「モンゴル人」とひとまとめに位置づける意識があったかどうか、正直疑わしいからだ。また、西夏から帰還し、ジャムカとの最終決戦を迎えるまでが端折られすぎ。浅田忠信の「その後私は多くの部族をまとめあげた」というナレーションだけで処理されてるなんて・・・そこが一番重要じゃないか、チンギス・ハーンの伝記としては!、と思った歴史ファンは、私だけではないはずである。 しかしこの作品を「歴史映画」ではなく「神話」として観る事が出来れば、この上なく重厚な作品に感じられると思う。この作品で重要なのは、完成度の高いアクションシーンではなく、あくまでテムジンの精神世界のほうだ。捕虜になる屈辱に幾度も耐えたからこそ、信頼される君主となる。妻ボルテとの絆があるからこそ、敵の子も自分の息子として愛せる。家族への愛があるからこそ、モンゴル統一への熱意が生まれる。そしてその熱意は、神をも味方につけてしまう・・・。チンギス・ハーンは謎の多い人物であり、その存在そのものが神話的である。神話的な存在に、こうした人間ドラマを付随させた作品・・・歴史映画として納得のいかない方は、一度、こんな風に考えてみてはいかがだろうか。 セルゲイ・ボドロフ監督は、史実に独自の解釈や脚色を加えることで、チンギス・ハーンの半生を、世界に通じる大作に仕上げてくれた。監督がロシア人であることを考えると、感謝の念すら込み上げる(ロシアでは、チンギス・ハーンは大量殺戮者として忌み嫌われていた時期がある)。テムジン役の浅田忠信は、アカデミー主演男優賞にノミネートされるべきだったと思う。全編モンゴル語の脚本で、あれだけのカリスマ性を表現できるだなんて、素晴らしすぎる。 観ながら、『十戒』や『ベン・ハー』に圧倒されていた頃のことを思い出した。あのレベルの大作を、もう一度劇場で見たい!という方には是非オススメ。歴史ファンの方も、「神話映画」だと思って、一度ご覧になっていただきたい。 【追記】 この記事のために調べなおし、『ベアーズ・キス』でミーシャを演じた俳優さんが、ボドロフ監督のご子息で、しかも6年前に事故でお亡くなりになっていたことを始めて知った(享年30歳)。今更ながらではありますが、謹んでご冥福をお祈りします。 |
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2008 04,01 23:54 |
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ウェス・アンダーソンの最新作を観てきた。
公式サイト 製作国=アメリカ 姉の評価=★★★★★ アンダーソンの作品は、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』『ライフ・アクアティック』に続き、三本目の鑑賞。前二作では、正直アンダーソンの独特の世界観に若干ついていけない部分もあった。今回も少し身構えて見に行ったのだが、それがよかったのか、満足して劇場から帰ってこられた。思ったよりもアンダーソン・ワールド炸裂!という感じでもなく、でも、アンダーソンらしいスタイルとスタイリッシュさは失わず。今までの中で、一番好きなウェス・アンダーソン作品になった。 父親の死をきっかけに絶交していた男三兄弟が、長男フランシス「兄弟の結束を深めるために」という呼びかけで、インドのダージリン急行で旅をすることになる。家族の絆や自己発見など、テーマとして真新しいものはなく、しかも前二作とかぶる部分もある。だが、『ライフ・アクアティック』などより判りやすく作られていた。車内という限定されていた空間で展開する前半と、電車を追い出されてインドの村や空港で様々な出来事と遭遇する後半。自分たちのことしか頭になかった彼らが、同じ思いを共有するにいたり、ラストは父親の影から脱却する・・・あの、カバンを投げ捨てるシーンのスローモーションは清々しく、希望の光さえ見えてきそうな気がした。 ウェス・アンダーソンの人間を見る目は、皮肉で、歪んでて、でも愛情に溢れているな、と改めて思った。数々のギャグシーンも、独特のテンポや視点を素直に楽しめた。スローモーション、ズームアップ、パンなど、(こんな言い方をして良いのか判らないが)使い古された演出法をあえて多用している感じも、アンダーソンらしくてよかったと思う(しつこく言うが、あのカバンのシーンは素晴らしかった・・・)。 俳優陣では、エイドリアン・プロディがおちゃめで気に入った。恥ずかしながら、彼の作品は『戦場のピアニスト』しか観たことがなかったので、こんなコミカルな要素の強い作品でも輝ける人なんだと、今更知って安心したり(汗)。 ご覧になる予定のある方は、最初の15分ほど、ショートムービー『ホテル・シュヴァリエ』が挿入されているので、どうか驚かないでいただきたい(私は驚いた・笑)。三兄弟の末っ子ジャックの前日話で、本編とリンクしている。本編開始前に「Part2」とタイトルが出た。おそらく『ホテル・シュヴァリエ』が第一部で、本編が第二部ということなのだろう。最初ややこしくてイライラしたが、ラストは全てつじつまがあっていたので、まあ必要な短編だったのかな、という気になった。 『ホテル・シュヴァリエ』にナタリー・ポートマンが出ていることが非常に気に食わなかったが(注:管理人は、「ヘイデン・クリステンセンより評価されている」というどうしようもない私憤から、ナタリー嫌いになってしまった・苦笑)、それでも★5つの評価は崩れない。ただ、アンダーソンがどんな監督さんなのか判らずに観に行くと、痛い思いをする可能性もあるので、一本でもアンダーソンを予習してから観に行くことをオススメしたい。 |
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