2024 05,19 15:17 |
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2006 05,01 22:52 |
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「恋に落ちる」対象というのは、身近な相手に限ったことでは決してないと思う。
例えばスクリーンの向こうの俳優さんや女優さん。小説や漫画の登場人物。ショーウィンドウに飾られたバッグやドレスやネックレス。心を惑わされ、心から欲さずにいられない・・・それが「恋をする」という感情。そしてそんな切ない思いを抱かせる相手を「恋人」と呼ぶなら、目下私はアルフォンソ・キュアロン監督に恋煩いしてる最中だ。 Yahoo!Movieプロフィールページ 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の監督として世界的に知られることとなったが、私と彼との出会いは『天国の口、終わりの楽園』だ。二人の若者が、青年から大人になる過程を、輝かしく、苦々しく描き出した本作は、それまで全く経験したことのない映画だった。「青春の最後の一瞬」を、あんなにも露に、痛々しく表現した映画を、私はそれ以前に知らない。この映画のエンドクレジットが流れ始めた時、既にキュアロンの名前は、私の心の中で永遠のものになっていた。 そんな彼が『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の監督に抜擢されたことを知ったのは、恵比寿ガーデンプレイスのロビーで、『天国の口~』のパンフレットを立ち読みした時だった。前触れもなくカウンターパンチを食らったような気分だった。何故キュアロンに『ハリー・ポッター』のオファーなどが行ったのだろう。どうしてキュアロンはこのオファーを受けてくれたのだろう。全てが謎だったが、クリス・コロンバスの前二作に失望気味だった私の鼓動は高鳴った。『アズカバンの囚人』は原作の中でも一番のお気に入り。それを、このメキシコ人の監督がどんな映像に仕上げてくれるのか・・・全く想像もつかず、期待と不安が一気に全身を駆け巡る思いだった。 そして『アズカバンの囚人』が公開された。感激した。想像以上の映像が、そこにはあった。 キュアロンの『アズカバンの囚人』を、原作ファンは快く受け入れはしないと思う。何故なら、キュアロンはコロンバスと違って、「原作への愛情」で映画を作ってはいないからだ。コロンバスの『ハリー・ポッター』からは、彼の原作への愛が迸っている。しかしその為に、彼の映画は原作に隷属するものになってしまった。キュアロンの『アズカバンの囚人』から感じられるのは、「映像作家としての創作意欲」だ。キュアロンは魔法界やホグワーツ、ハリー・ポッターという少年に対して、明確なイメージを持っていた。そしてそれを映像にするにあたって、原作の持つスピリットを残すことに配慮しつつも、何のためらいも持たなかった。そうして出来上がった彼の『ハリー・ポッター』は、原作の雰囲気そのままでありながら、新鮮味にあふれた素晴らしき映像美。私は、全7部作という拘束の多い原作を持つ映画が、あれほど“作り手の魂”を感じる作品になろうとは、想像もしていなかった。それは、私が完全にキュアロンに恋した瞬間だった。 昨年『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』を観に行った。ショーン・ペンの演技を観たかったのもあるが、一番の理由は勿論、キュアロンが製作に携わっていたからだ。私は彼を欲している。彼の携わった全ての映画に触れたいと、心から望んでいる。今私が一番渇望しているのは、彼の監督最新作だ。彼の魂に再び、スクリーンを通して早く触れたい。 PR |
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