2024 05,19 06:04 |
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2008 03,24 01:09 |
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久しぶりに、映画雑話のカテゴリーを更新したくなったので、します。
「いやぁ、映画とラーメンだけは、しょうがないって。」 これは、『スターウォーズ』の話をファンの連中としていて口論になりかけた時、間に割って入ってくださった方の言葉である。解釈がどうの、描き方がどうので「エピソード3は是か非か」を語り合ってるうちにヒートアップしてしまったSW狂共の熱を、この台詞は一瞬にして冷やしてしまった。これを聞いたのはだいぶ前の話だが、今でも鮮明に記憶に残っている。あの時口論が一気に終了してしまったのは、それが、その場にいる全員に納得のいく言葉だったからに違いない。「映画とラーメンの好みだけは、千差万別で相いれることはない」・・・要するに、そういうことである。 ラーメンは、私の大好物でもある。私が好きなのはみそ味。野菜は多めで、麺はあまり太くないほうが望ましい。できればコーンのトッピングも欲しい。バターが乗っていれば尚可。しかし「ラーメン通」を自称する旦那に言わせれば、そんなものは邪道らしい。太麺じゃないみそなんてあり得ないし、そもそもラーメンでみそ味なんて邪道。野菜は麺の触感を阻害する邪魔者。コーンなんてもってのほか。「ラーメンの味のわからない愚か者」と結婚以来、旦那は私を誹り続ける。しかしどんなに主人が私を味覚バカと糾弾しようと、私はみそ味を注文し続ける。自分の「ベストなラーメンの食べ方」だけは変えられない。映画の好みも、それと一緒。 ひとつの例として、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』を挙げたいと思う。以前、ダウンタウンの松っちゃんが、著書『シネマ坊主』の中でこの作品を絶賛しているのを読んだことがある。曰く、「主人公のおっさんが、子役に食われてないねん。たいてい子供の出てくる映画って、子役においしいとこ持ってかれるけど、最後までおっさんが笑かしてくれた」(うる覚えです・汗)。とても面白い感想だと思った。笑いの「製作者」としての視点から映画を観ると、こんな感想が出てくるんだと。自分にはない視点なので、いい参考になったと思った。 しかし、私の知り合いで、この作品に完全に「NO」を突き付ける人間もいる。彼女は私の歴史学科の頃の友人で、この時代のドイツに関心が高く、実際にアウシュビッツを見に行った経験もある。「なんか違う。あんなのはいんちきだ。」・・・彼女の言い分も、私には理解ができる。ベニーニ演じるユダヤ人の父親が、収容所の中で息子を守り続けるという内容の本作。私も当時の史料に多少触れたことがあるが、強制収容所の中で、そんな芸当をすることは完全に不可能だ。『シンドラーのリスト』などをご覧いただければ、その理由はわかっていただけると思う。加えて、収容所での生活の描写。ジャム付きのパンなと食べてるシーンもあるが、収容所の中のユダヤ人たちに与えられた食物と言えば、せいぜい腐ったジャガイモぐらいである。ベッドも三段の狭い中に、10人ぐらいのユダヤ人がぎゅうぎゅうに押し込まれていたらしいし、ましてや放送機材を勝手に使用するなんてあり得るわけがない。 私自身は、「娯楽を目的としたヒューマン・コメディ」だと最初から割り切っていた。それなので、所見はものすごく感動したし涙も流した。「でも、実際に収容所経験したユダヤ人の方がご覧になったら怒るだろうな」・・・そんな注釈を、心の中に置きながらではあったが。だが、史実を重視し、歴史的メッセージを付加することをこの時代を扱った作品に望む彼女は、私のように注釈を付けて映画を観ることも、ダウンタウンの松っちゃんのような視点で鑑賞することも、できなかったのである。 この三人の評価、誰が一番正しいかといえば、誰も正しくなんかない。ラーメンの好みを妥協できないのと同じように、それぞれの視点を変えて映画を観賞することなんかできない。視点は、それぞれの経験、体験、生活環境や境遇の違いでいくらでも変わってくる。だからこそ、他人の視点での感想を聞くことが、面白くてたまらない。 みそ、しょうゆ、しおにとんこつ・・・色々な味があるから、ラーメンは多くの人に愛される。映画もそれと同じである。ラーメンを食する人の数だけこだわりがあるように、観客の数だけ視点がある。だから多種多様な映画が作られ続けている。 PR |
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