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2026 05,02 21:46 |
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2007 05,01 01:12 |
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今年は、『スター・ウォーズ』が本国アメリカで公開されて30周年になる。本国では記念切手の販売もされたりという盛り上がりからも判るとおり、ファンにとっては記念すべき年となっている。私も自他共に認める『スター・ウォーズ』(以下SW)ファン。折角映画のブログも持っていることだし、公開日となる7月ぐらいまで、便乗してSW関連の記事を立ち上げさせてもらおうかと思う。
しかし、30周年記念と銘打っておいて何なのだが、今回の記事については、あまり気持ちのいいものにはならない。そのことを、まず初めに断っておこうかと思う。 このブログでも事ある毎に書いてきたが、私は「SWファン」が大嫌いである。しかし誤解しないでいただきたいのは全てのファンが嫌いなわけではないということだ。私が嫌いなのは、SWでも「オリジナル旧三部作」と呼ばれる作品のファンの、その中の一部である。 ファンの間では、SW映画作品は大まかに以下のように分類されて語られている。 「オリジナル」・・・1977年から1983年までに劇場で公開されてた旧三部作。“エピソード4~6”に当たる。 「特別編」・・・1997年に製作者ジョージ・ルーカスによって修正が施され劇場上映された旧三部作。 「DVD版」・・・2004年に発売された旧三部作のDVDボックス。特別編より更に修正が加えられている。 「新三部作」・・・1999年から2005年にかけて公開された“エピソード1~3”に当たる作品。 私が生まれて始めて鑑賞したSWは“オリジナル”である。1988年頃、レンタルビデオで借りて観た。その後、1997年の“特別編”で初めてスクリーンで鑑賞し、“DVD版”も購入済み。勿論“新三部作”も全て劇場まで観に行った。 私はSW誕生より遅れること約15年後に初めて鑑賞したが、1977年当時から現在に至るまでファンをやっていると言う方も少なくない。そういう方の中には“オリジナル”への思い入れが強すぎるあまり、それ以降の“特別編”“DVD版”“新三部作”の全てを受け入れられない、という方もいる。私が嫌いなのは、その中でも「バッシングに言葉や対象を選ばない」連中である。 映画ファンであれば、“特別編”や“新三部作”が、一部のファンから猛バッシングを受けていたことを、少なからずご存知のことと思う。勿論、“オリジナル”への思い入れが強いことは悪いことではない。バッシングするのだって個人の自由だと思う。 それが、作品自体に向けられているものでさえあれば。 しかし、この「一部の“オリジナル”ファン」は、バッシングの対象に“特別編”や“新三部作”のファンまで含んだのだ。 「SWファンなら新三部作をバッシングするべき」――――これは、ある“オリジナル”ファンが「エピソード3」公開当時言い放った言葉である。要するに「新三部作をバッシングできないものはファンに非ず」ということだ。何という暴言だろう。映画は製作者のものかもしれないが、感想は個人の所有物だ。そのひとつひとつに合否や優劣をつける権利など、一体誰にあるのだろうか。 こうした「個人の感想」へのバッシングは“特別編”の公開された1997年当時から行われていた。インターネットでファン活動を始めて以来10年、私はそういった暴言をうんざりするほど聞いてきた。 「特別編ををこんな風に解釈するのは間違った見方だ。」 「新三部作のファンだと言い張る奴は根性がある。」 「新三部作擁護派の意見が、バッシング派の俺の言い分より正しいわけがない。」 「DVD版を好きだと言う奴なんかいるわけがない。」 しかし言うまでもない話だが、特別編や新三部作からファンになったという方は大勢居る。新三部作を観て、続きが気になるから旧三部作を観てみたという方だって居る。特別編や新三部作のファンは別に根性でファンをやっているわけでもないし、擁護する為にファンをやっているわけでもない。DVD版が好きだと言うファンだって、勿論いる。 そういったSWファンは、「間違った見方」で映画を観ていたと言うのだろうか? そもそも「映画を観る目」に、「正しい」や「間違い」などあるのだろうか? SWはいつからパレスチナになってしまったのだろう・・・その頃、“オリジナル”ファンの“特別編”や“新三部作”ファンに対する暴言は、そう思わずにはいられないほど辛酸なものになっていた。私はそれ以来、“オリジナル”ファンとはあまりかかわりを持たないよう努めるようになった。私は宗教戦争をやる為に、SWファンになったわけではない。 正直に話すと、『エピソード3』の公開当時、私自身は徹底したジョージ・ルーカスのバッシングを行っていた。キャラクターの行動に動機付けが薄く、結果、人間ドラマで構成される折角の最終章が台無しになってしまったと感じたからだ。これは消費者として映画を鑑賞した観客にとって、当然の権利だと思う。しかし、そんな私の言動を不快に感じたと訴える方がいらっしゃれば、それを真摯に受け止め、「何故バッシングしたのか」をご理解いただけるよう丁寧に説明させていただくという作業も、決して忘れはしなかった。勿論そうした方とは、お互いの相容れぬ感想を尊重し合えるようになった。 私が「公開30周年記念」の第一回目にこの記事を選んだ理由は、これからSWの話をあれこれさせていただく前に、自分がファンの中でもどのような位置に居るのかを明らかにしておきたかったからである。私は“オリジナル”からSWファンをやっているが、“特別編”も“新三部作”も大好きだ(流石にDVD版はちょっと・・・)。ましてや、SWで「宗教戦争」をしたがるようなファンとは、まるで違うものである。 SWファンの方と、SWについて色々語り合うのはとても素敵なことだ。例えそれが、私自身の感想と相容れぬものであっても。お互いに、それを寛容な気持ちで受け入れあう事が出来る限り。 PR |
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2007 04,30 00:00 |
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TV放送で『スパイダーマン2』を鑑賞。この作品は、『1』とセットにして話さないと気が済まない(笑)。
『スパイダーマン』ポータルサイト とっても力強い娯楽大作。2010年代を代表するシリーズになることは間違いないと思う。アクションで楽しませてくれるだけではなく、ピーターの苦悩に共感させて、一層映画の世界に入り込ませ、観客の心を手放さない。迫力の映像にスカッとし、ヒーローと一緒に苦しみ、ロマンスの行方に涙する・・・映画って、本来こういうものだ。映画はそもそも、庶民の気軽な娯楽として誕生した。社会派ドラマもシリアスな人間ドラマも好きだけど、映画にはやはり、現実の世界を忘れさせてくれる、夢やロマンや爽快感があって欲しい。 お恥ずかしながら原作未読の為、製作当初は「軟派な派手映画」ぐらいの認識しかなかった。しかし『1』がTV放送されるのを観るやたちまち虜になり、次の日にはレンタルビデオ屋に駆け込んで『2』を手にしていた(笑)。やはりピーターの、ヒーローならではの苦悩やジレンマが痛々しくて、そこにはまってしまうのだろう。『2』の電車のシーンなどは、何度観ても大号泣だ(苦笑)。『サイダー・ハウス・ルール』のトビー・マグワイアがお気に入りだった私。当初は「トビー、何身売りしてんだよ」ととんでもないことを思っていたのだが、今では「トビー、これはあなたでなければ出来ない役よ!」と感謝の気持ちでいっぱいだ(苦笑)。知的なマスクで、ピーターの二面性を見事に表現してくれていた。 それにしてもニューヨークは何でもいるところだな。蜘蛛男しかり、ゴースト(『ゴーストバスターズ』)しかり、人魚姫(『スプラッシュ』)しかり。次はヤマタノオロチでも出てきたら面白いのだが(笑)。 前作はいづれも劇場で観なかったので、『3』は絶対に劇場で鑑賞してやろうと心に決めている。スパイダーマンが飛び回るあの様は、一度は大画面で味あわなくては映画ファンとして一生後悔する。 実写化不可能と言われたコミックだったが、それを実現させたのは最新のCG技術だ。スパイダーマンがニューヨークのビルの間を縦横無尽に飛び回る様は、それだけで胸躍る映像だった。しかし日々進化し続けるのが、映画製作技術だ。いつかこの作品も、前時代的な技術だと思われる日が来るのだろうか。そう思うと、ちょぴりやるせない気分になる。 |
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2007 04,29 01:15 |
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ヘレン・ミレンがアカデミー主演女優賞受賞となった、話題の作品を観てきた。
公式サイト 製作国=イギリス/フランス/イタリア 姉の評価=★★★★☆(白星は★0.5) 「こんな作品、よく作れたなぁ」というのが素直な感想。作中には当時の映像もふんだんに使われているので、作り方ひとつで作品の世界観が台無しになってしまう可能性もある。にも拘らず、ものすごく説得力のある作品に仕上がっていた。しかも主役格のエリザベス二世もブレア首相も、存命中であるばかりか在職(在位)中。余計なお節介かもしれないが、製作するに当たって外部からの圧力などなかったのか?と心配になってしまう(笑) 10年前のダイアナ元皇太子妃の事故死には、誰もがショックを受けたと思う。そして英国王室への批判は、当時を知ってる人なら、誰もが覚えていることだろう。その矢面に立たされたエリザベス女王の胸中には何があったのか・・・女王は、良くも悪くも昔の人間だった。それが、息子ほど年の離れたブレア首相の提言を受け入れた。71歳の女王が、自分が変わらなければ王室を救えないことを認めるのは、容易ではなかったと思う。作品は、女王と首相が互いを認めあうところで終了する。 この作品を観て、理解しあい尊重しあうことって、とても素晴らしいことだなぁと、改めて思った。誤解を恐れずに言うと、私は「年寄り」が嫌いだ。お年寄りを大切にする気持ちはあるのだが、何かにつけて「昔はこうだったのに今の若い母親はダメなんだ」みたいなことを言ってくるのが嫌で仕方がない。昔と今では子育ての常識なんて全く違うのに、それを知らずに口出しするな、と。でも、お年寄りが時代の流れを受け入れ、若者がお年寄りの歩んできた人生を理解すれば、お互いにもっと歩み寄れるものなのかもしれない。 個人的に一番感動したのは、首相が女王を擁護し「彼女ほど勇敢な女性がいるか!」と叫ぶシーンだ。若き改革派が王室と民衆の橋渡しをしようとする様には心を打たれた。話題のヘレン・ミレンは骨の髄まで女王になりきる、見事な役作りを見せてくれた。勿論期待通りの演技だった。 鑑賞していて、「首相のシーンと女王のシーン、何か映像の感じが違うなぁ」と思っていたら、パンフレットに「王室のシーンは35mm、ブレアのシーンは16mmで撮影し、<威厳と質感>の二つの世界のコントラストをより大きく表現した」といったことが書いてあった。流石のこだわり。★満点にしなかったのは、『ラストキング・オブ・スコットランド』より、映画としての見応えに若干欠けたな、という個人的な印象から。思ってたより重い映画ではないので、友達なんかと気軽に観に行くのにオススメしたい。 |
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2007 04,18 23:49 |
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この数日に起きた日・米の銃撃事件。思うことはあれこれあるのだが、映画ブログらしく、映画ファンとして思うことを記事にしてみたいと思う。
バージニア工科大学の事件で誰もが思い出すであろうのは、コロンバイン高校の事件である。コロンバイン高校といえば、マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』。アメリカ銃社会をユーモアを交えながら痛烈に批判すると同時に、驚くほど冷静に検証しているドキュメンタリー映画だ。今回の事件で、結局あの映画は無駄な作品になってしまったのか、という空しさを覚えた。『ボウリング~』はその年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、日・米共に、ドキュメント映画としては空前の大ヒットとなった作品だ。多くの人が劇場まで足を運んで鑑賞し、マイケル・ムーアのメッセージを受けたはずだ。にも拘らず、今回の事件は起きてしまった。 どれだけ興行成績を挙げようと、作者がどれほどメッセージをこめようと、映画は所詮映画でしかない。そのことを、改めて思い知らされたような気がする。勿論、映画の力だけで社会を変えられるとは思っていない。でも、映画というメディアの無力さを、まさかこのような形で知らされることになるとは思っていなかった。結局『ボウリング~』のヒットは、銃社会への警鐘にすらならなかったのか、と。 ムーア氏は、今回の事件をどのような思いで受け止めているのだろうか。自身の無力感に打ちひしがれてないといいのだが。ムーアは「ドキュメントでも商売ができることを立証した」という部分で、映画界への貢献度も高い作家だ。そういう方に、創作意欲を失って欲しくはない。 先日鑑賞した『不都合な真実』のデイビス・グッゲンハイム監督や出演なさったアル・ゴア氏には、そのような無力感を味あわされることがないように、と、願わずには居られない。 それにしても、アメリカ人はコロンバイン高校から何も学ばなかったのか。そのことに呆れると同時に、ムーアが「銃犯罪が少ない」と謳ってくれた日本で、長崎市のような事件が起きた事に、心から嫌悪を恥じらいを覚える。 |
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2007 04,11 01:18 |
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フォレスト・ウィッテカーが今年度アカデミー賞主演男優賞受賞となった話題作を観てきた。本当は『善き人のためのソナタ』を観に行くつもりだったのだが、時間的な都合からこちらを鑑賞することになった。
公式サイト 製作国=アメリカ/イギリス 姉の評価=★★★★★ 実を言うと、この作品の歴史的背景についてはほとんど知識のないままでの鑑賞となった。ウガンダで軍事クーデターが過去に起こっていたことは知っていたが、アミン大統領のことは、お恥ずかしながら名前も知らなかった。とても完成度の高い作品。ただ、個人的には、あまり出来の良し悪しで語りたくない作品である。あれほど残忍な歴史を持つ国が現実にあったんだということを、生々しく語る本作。前代未聞のウガンダ・ロケやフォレスト・ウィッテカーの役作り、ドキュメンタリー出身のケビン・マクドナルド監督の起用・・・リアリティーを追求する一方で、「観せる」為の作品作りも忘れていないので、その生々しさが尚の事頭にこびりつく。見る側に、作品の出来・不出来を問わせない、圧倒的な迫力のある映画だ。 スコットランドの青年医師ニコラスは、冒険心とほんの少しの慈善意欲から、独立間もないウガンダの村医として働くことになる。そこでたまたまアミン大統領と出会い、彼の主治医となる。このニコラスは架空の人物で、少しばかり安直な雰囲気でウガンダまで来たのが当初鼻についた。しかしアミンの人柄に魅了され続け、気がついた時には引き返せないほどはまり込んでいた、というのが他人事に感じられず、観ているうちに感情移入していた。私だって若くて未熟だったら、彼と同じ破滅への道を歩んでいたかも知れない。このニコラスを通じて「人食い大統領」と呼ばれたアミンを描いているわけだが、彼の目から見るアミンは、人なつっこくて愛嬌があって、且つ怪物的な不気味さもある、良くも悪くも魅力的な人間である。鑑賞前からアミン大統領のことを知っていたとしても、初盤では誰もがニコラスと同じように騙されると思う。かつてウガンダの人たちが、アミン自身に騙されたのと同じように。そして終盤、アミンの内なる狂気が映像に露出する。心臓が凍りつくかと思うほど残虐でショッキングな描写。誇張ではなく、私は生まれて初めてスクリーンから目を逸らした。時間にしたらほんの数秒なのだが、最初から殺戮シーンなどを盛り込まれるよりも、よっぽどアミン大統領の残忍さを表現できたのではないのだろうか。 噂のフォレスト・ウィッテカーだが、とにかく「凄い」の一言である。ここ数年のアカデミー主演男優賞受賞者の演技はほとんど観ているが、その中でもダントツの演技だと思う。フィリップ・シーモア・ホフマンもジェイミー・フォックスも、このアミン大統領の敵ではない。存在感もカリスマ性も見事に再現し、しかも容姿まで当人にそっくり。エンドクレジットの前にアミンの資料映像が挿入されているのだが、それがウィッテカーじゃないと気付くのに、数秒かかってしまったほどだった(笑)。鑑賞中「まるでヒトラーみたいな奴だな」と思ったのだが、後で彼が「黒いヒトラー」と呼ばれていたと知って驚いた。製作者が、フォレスト・ウィッテカーとめぐり合えたのは、とても幸運だったと思う。 この作品には、個人的にも幸運なことがあった。私が世界で一番愛する女優、ジリアン・アンダーソンが出演しているのだ。そのことを知らずに観に行って、オープニング・クレジットで彼女の名前を発見し、それこそ心臓が止まるかと思った(笑)。登場シーンは少ないが、印象的な役柄で、アップやロングショットも多かった。彼女がこういった素晴らしい作品に関わってくれたことを、ファンとして嬉しく思う。 心臓の悪い方にはあまりお勧めは出来ないが、興味のある方は観に行って決して損はしない映画だ。勿論ジリアンファンの方も是非!(笑) |
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