|
2026 05,09 08:48 |
|
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
|
2006 09,16 23:52 |
|
|
ハーレイ・ジョエル・オズメント主演『A.I.』について。
goo映画レビューページ あれほど賛否両論分かれる映画ってのもなかなかないな、と思った。後悔当時は「駄作」「失敗作」などという言葉もかなり聞かれた。 私に関して言えば、あれは素晴らしい作品だと思っている。あれを(否定するのではなく)駄作としか評価できない方は、“スピルバーグ監督作”という宣伝文句に騙されたか、キューブリック作品を今まで一本も観た事がないか、そもそも映画を見慣れていないかのいづれかだと思う。あれは監督こそスピルバーグだけど、故スタンリー・キューブリックの作品だ。キューブリックの作品に、既存のスピルバーグ映画と同じような感動を求められるわけはない。 ただ、あの映画を「駄作だ」という方の気持ちが理解できないわけではない。私自身、作品を観終わった後は気分が悪くなった。ひたすら愛を求めるデビット少年は不気味にこそ思えど可哀想とは思えず、結局感情移入できなかった。スピルバーグ作品では珍しい数々の精神的グロテクス・シーンには、席に座ってる事すら辛くなった。そしてあのラストシーン・・・あれの意味するところが、その時は全く判らなかった。 劇場から家に帰るまで、映画の後味の悪さに気分が滅入ってしまった。でも、私はどうしてもあの映画が駄作だと思えなかった。駄作だったら、こんなにいつまでも私の心にこびり付いているわけがない。家に帰り、PCを立ち上げ、他の方がこの映画をどう解釈したのか、あちこちのサイトのレビューを飛び回って読み漁った。そして、とあるサイトにこんな解釈を発見した。「永遠の愛なんて存在しない。だから、愛する人と一緒にいられる今を大切にしよう――――それが、この映画の言わんとする事だ」 目が醒めるような解釈だった。そして、この解釈に助けられ、私は『A.I.』に自分なりの解釈を見出した。 「永遠の愛なんて存在しない。むしろ、終わりがあるからこそ人は愛し合える」 例えどんな種類のものであれ、愛には終わりがある。親子愛でさえ、どちらかがが死んでしまえば「愛してた」という思い出は残るが愛し合うことはできない。しかし、終わりがくるのがわかっているからこそ、愛せるうちに充分愛しておこうと思えるのではないのだろうか。「終わりがある」と判ってるから、今愛しているこの一瞬が輝く。それが“人間の愛し方”だ――――私はそう考えた。 デビット少年の愛は、その存在同様偽りだった。しかしラストシーン、それまで一方的で押し付けがましい「永遠の愛」をインプットされていた彼は、ちゃんと母の死を受け入れることができた。自分の、母への愛に終わりがきたことを理解できた。愛には終わりがあることを受け止められた。“人間の愛”を学ぶことによって、彼は”人間”になれた――――あれは、そういうラストだったのだ。 観終わった後、あれほど気分が悪かったのは、「永遠の愛」をあんなに堂々と否定されたからだ、と今になって思う。人間なら、やはり永遠の愛を信じたい。私がこの作品を素晴らしいと思うのはそこだ。この映画は「愛」を美化していない。「永遠など存在しない」という「愛の現実」を偽りなく描いている。それまで「愛すること」「信じること」を描いてきたスピルバーグが、おそらく初めて「愛を否定する」映画を撮った。その姿勢・勇気だけでも、私は評価に値すると思っている。 私はこの映画を好きになる事はできない。「素晴らしい映画」が必ず「好きな映画」になるとは限らない。それは「永遠の愛は存在しない」という真実を突きつけられた為と、その真実に逆らって、偽りで「永遠の愛」を植え付けられたデビット少年への嫌悪感の為だ。私はこの映画を好きにはなれないが、この映画のメガホンを取ったスピルバーグの決意と、デビットがどういう存在なのかを的確に読み取って表現してくれたハーレイの素晴らしい演技だけは、永遠に忘れないと思う。 PR |
|
|
2006 09,15 23:16 |
|
|
先日『キンキーブーツ』で久しぶりに足を運んだシャンテ・シネ。語ってみたくなったので、語ってみる。
公式サイト 勿論お気に入りの劇場のひとつ。はずれ作がないというわけではないが、基本的に良い作品が揃っている。そして特記すべきは、あまり知られてはいないが、この劇場、スクリーンと音響が他劇場と比べてはるかに上質なのだ。 『スター・ウォーズ』オタクを自称する私は、ここ数年で公開された新三部作はどれも7回以上は劇場まで観にいっている。99年の『エピソードⅠ/ファントム・メナス』の日本語吹き替え版がシャンテ・シネで上映されたのも、当然観に行った。そのときは既に、別の劇場数館で『エピソードⅠ』を何度か鑑賞した後だった。その時の映像たるや、とても同じ作品を観ているとは思えないぐらい上質だったのだ。音響も勿論別物に感じるぐらい素晴らしかった。『スター・ウォーズ』オタクであるが故に味わえた、贅沢な経験だったと思う。こんな風にして劇場ごとのスクリーンの質を比較するなんて機会、そんなにめったにあるわけではない。 確か去年大掛かりな改修をして、リニューアルオープンと共に座席指定制にしたらしい。このことは大体的には宣伝されていない。今更知らない方もいないだろうが、何故もっと宣伝しなかったのか、未だに不思議で仕方がない。 日比谷という場所柄、この周辺には私の行き着け&お気に入りのダイニングバーやカフェがひしめいている。 お茶をするなら 紅鹿舎 TVなどでもよく取り上げられる、ピザトースト発祥の店。ただのパンがこんなに美味なのかと驚く。但し店員の対応の悪さにも驚くこと必至なのでご注意を。 そして飲みに行くなら バーデンバーデン Trattoria Ciao 前者はドイツ料理の店で、ミュンヘンの「ホブフロイハウス」のビールを直で取り寄せ、「ホブフロイ」のジョッキで飲ませてくれる。ジョッキの販売もアリ。オススメ料理は何と言ってもジャーマンポテト。 後者はイタリアンレストラン。もう、どれを頼んでも美味。その中で特にオススメはトマトとモッツァレラのピザとパルメザンチーズのリゾット。特にリゾットは食べて帰らないと後悔する味。ランチはサラダバーとワンドリンク付。サラダバーが多彩なので、行くといつも食べ過ぎる(笑) また飲み直すなら 日比谷バー カクテルが美味しいし、何より雰囲気が落ち着いてて好き。気さくなバーテンさんとの会話も楽しい。 劇場の紹介だったはずが、食い物屋の話に夢中になってしまった・・・ |
|
|
2006 09,10 00:09 |
|
|
大分前から公開を楽しみにしていた、イギリス発ハートフル・コメディ。
公式サイト 製作国=イギリス 姉の評価=★★★★★ 大満足の一本だった。この手の映画を作らせたら、やはりイギリスは最高だ!『フル・モンティ』『カレンダーガールズ』『ブラス!』・・・どれひとつとっても、心から笑えて心から泣けるだけではなく、押し付けがましくなく楽しませてくれる魅力を持っている。この色はハリウッドには到底だせないだろう。大英帝国として栄えた時代とそこからの転落を経験した、イギリスというお国柄ならではのサクセス・ストーリー。実話が元になっていると言うだけあって、説得力も充分。今年に入ってからコメディ系の映画を一本も観ていなかったので、尚の事楽しく劇場から出てこられた。 見所満点の一本だが、あえてひとつだけ見所を挙げろといわれたら、やはりドラック・クイーンのローラ役のキウェテル・イジョフォーだ。『堕天使のパスポート』の知的な役どころから一転。歌唱力満点のドラッグ・クイーンと、男装だととたんに自信がなくなってしまうサイモンとの演じわけも見事。『堕天使~』の頃から面白い役者さんだなぁと思っていたけど、今回で完全に魅力を出し切ったという感じだ。 役者さんといえば、主人公のチャーリー、どこかで観た記憶があるなぁ、と思っていたら、『スターウォーズ』新三部作で、若き日のオーウェン叔父さんを演じたジョエル・エドガートンではないか!旧三部作のオーウェン・ラーズそのものを彷彿させるキャスティングに、世界中のSWファンが感動したものだった(笑)『スターウォーズ』ファンとしても嬉しい一本となってしまった(苦笑) 個人的に興味深かったのは、ローラがデザインしたブーツを見て「こんなヒールで男の体重支えられるわけないだろ?!」と絶叫するチャーリーに対し、年老いた職人たちが身じろぎもせず「これこれこうすれば実現可能だな」と、冷静に言ってのけてしまうシーン。職人魂が、偏見をあっさり凌駕してしまったという描写。職人魂、強し。 文句なしにオススメできる一本。日比谷で観る映画に困ったら、是非この作品を選んでいただきたい。 |
|
|
2006 09,03 23:53 |
|
|
洋画ファンであれば、一度や二度はへんちくりんな邦題に首をかしげた経験があると思う。折角の映画ブログなので、そういう映画を時折取り上げてみようかと。第一回目は、「姉的納得のいかない邦題ナンバー1」の座に君臨し続ける『フィオナが恋していた頃』。
Yahoo!映画レビューページ 原題“THIS IS MY FATHER” アメリカで教師をする主人公キアレン。長く母親フィオナと暮らしていた彼が、自分のルーツを求めてアイルランドを旅する。そこで初めて、自分の両親の悲しい恋物語を知る・・・という話。率直な感想は「違う邦題だったなら、ものすごく気に入ってたはず」といったところ。封建社会で苦しめられていた村人と、リベラルな現代人の対比、美しいアイルランドの描写、主人公キアレンの涙・・・どれひとつとっても、何かしらの感動を与えてくれる映画・・・になるはずだった。 『フィオナが恋していた頃』などというタイトルを耳にすれば、母親主観の物語だと誰もが想像するだろう。しかし原題は“THIS IS MY FATHER”・・・物語は、父親主観で進んでいく。「フィオナ」の物語だと思っている私は、いつまでたってもフィオナの話にならないことに戸惑いを覚える。戸惑いは苛立ちになり、上映終了後、パンフレットで初めて原題を知ったとき、それは怒りに変わっていた。 その戸惑いと苛立ちのおかげで、この作品はいまひとつ感動できない映画になってしまった。もし原題をもうすこし生かした邦題にしてくれて、父親主観の話だとタイトルで伝えておいてくれてれば、もっと感動できたはずなのに。そう思うと、腹が立ってしょうがない。 題名によるファースト・インプレッションは重要だと、この作品に教えられた。たかがタイトル。しかしタイトルだって、作品の一部なのだ。 |
|
|
2006 09,02 23:58 |
|
|
日本にも熱心なファンが多く、「外れなしのイーモウ」の名を欲しい侭にしていた監督さん。勿論私もファンの一人。
Yahoo!映画プロフィールページ 中国映画界が宝とする監督さんの一人。日本では確か、『初恋の来た道』ぐらいから名前が通るようになったのではなかったろうか。イーモウの作品は、湧き上がるような情感と美しい風景描写に溢れている。思わず大号泣するような感動作も多いが、その感動が、全然押し付けがましくないところが良い。涙がとにかく自然であたたかい。それはイコール、イーモウ監督の人間を見つめる眼差しの温かさなんだと思う。 今まで、彼との出会いは『初恋の~』だとばかり思っていたが、この記事を書くに当たって改めて代表作を確認したところ、1991年の『紅夢』が最初だったことが発覚した。あの映画もイーモウ作品だったのか。どこかで、『紅夢』は反社会的だと中国国内で叩かれ、正当な評価を受けなかった、というようなことを聞いた気がする。替りに海外で評価が高かったらしいが。そんなイーモウが、今ではオリンピック誘致映画を製作してるのだから、皮肉といえば皮肉だ。 彼の作品ですぐに思い浮かぶのは『HERO』『Loves』だと仰る方も多いだろうが、個人的に、あの二作品はイーモウ作品としては下から数えたほうが早い映画となっている。外れなしのイーモウが初めて外した、と言っても過言ではないとすら感じている。最も、『初恋の~』や『あの子を探して』『活きる』などと比較してしまう私が一番いけないのだが。イーモウ作品への思い入れが強すぎるせいで、あの二作品の本当の魅力が見えてこないのだろう。自分のせいだとはいえ、非常に残念だ。 今年初めに公開された『単騎、千里を走る』は、久しぶりに私の大好きなイーモウが観られて、本当に幸せだった。個人的には、また『活きる』や『単騎~』のような作品を作ってくださることを希望するが、幅広い活躍も願ってやまないのも本当だ。 |
|
| 忍者ブログ [PR] |



