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2026 05,13 11:56 |
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2006 05,22 00:33 |
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話題のミュージカル映画をやっと観に行けた。既に日劇(だっけ??)の上映が終了してて、スバル座での鑑賞になってしまったが。
公式サイト 製作国=アメリカ 姉の評価=★★★★☆ ミュージカル映画が大好きで、この作品は★5つつけるつもりで観に行った。が、その気合が裏目に出てしまって、ひとつ減点というところだろうか。自分としてはかなり辛口の評価のつもり。 とにかく楽しい映画だった。今時のミュージカル映画にどうしてもついていけない感があったので(『シカゴ』や『五線譜のラブソング』など)、ジーン・ケリー時代のミュージカル映画に勝るとも劣らぬエンターテイメントぶりには、興奮を隠し切れなかった。どうせミュージカルを作るなら、現実を忘れさせてくれるぐらいの非現実感があったほうのがいい。歌って、踊って、華やかな展開があって。この数年のミュージカル映画の中では、『クリビアにおまかせ!』と同じぐらい好きな作品かもしれない。 だからこそ、どうしてもこの映画に満点をつけることは出来なかった。理由は簡単。映像が平面的で、奥行きを感じなかったからだ。 この作品の監督さんは、ブロードウェイのオリジナルで演出と振り付けを担当し、これが監督デビュー作だと聞いている。メル・ブルックスたっての希望でメガホンをとったということだが、そもそも映画と舞台とでは“空間”の見せ方が全く違う。要するにこの監督さん、映像で“空間”を表現しきれてないのだ。最初にそれに気がついて、以降、その奥行きのなさにイライラしっぱなしになってしまった。折角のトニー賞12部門獲得作品の映画版として、これが後世に残ってしまうのは、少しばかり残念な気がする。役者さんに舞台向きの芝居をそのままさせたのまでは、なかなか面白い作りだとは思ったが。 今回一番の楽しみは、マシュー・ブロデリックだった。90年の『ドン・サバティーニ』以来ご無沙汰だったが、昔かなり熱を上げていて、写真集なども持っていたほどだった。いいオッサンになってしまったのは否めないが、昔のままの愛らしい笑顔と、磨きのかかった演技、それと華麗なステップに感動した。これを機に、また『グローリー』のような大作に戻ってきて欲しい。 ≪余禄≫ 私が購読してるメールマガジン『映画の精神医学』に「こんな予備知識を持って『プロデューサーズ』を観に行っていただけると、大いに楽しめる」とのことで、こんな記事があった。折角なので紹介させていただこうかと。(以下青字部分抜粋) 「ニューヨークとブロードウェイとユダヤ人」 (前略) ニューヨークは、別名 ジューヨーク(Jew York)と呼ばれるくらいで、ユダヤ人が非常に多く住む町である。 ニューヨークの人口が800万人に対してユダヤ人人口は170万人ほど。この数は、イスラエルのテルアビブやエルサレムよりもはるかに多く、ニューヨークは世界で最も多くのユダヤ人が住む街である。そしてブロードウェイ、すなわちニューヨークのショービジネスもユダヤ人なしで考えることはできない。 (中略) ブロードウェイのミュージカルでは、プロデューサーや作曲家の多くがユダヤ人である。音楽家で例を挙げれば、マックス・スタイナー、リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタィン2世、ジェローム・カーン、アービング・バーリン、ジョージ・ガーシュイン、レナード・バーンスタイン。このように、ブロードウェイのミュージカルとハリウッドのミュージカル映画を作った作曲家、作詞家たちの大半はユダヤ人であった。 さて、どうしてブロードウェイはこれほどまでユダヤ人の影響力が強くなってしまったのか。それは、ハリウッドにユダヤ人が多い理由と同じである。映画やショービジネスが誕生した、1900年代の初頭。映画やショービジネスは、下層階級の娯楽とみなされていた。そして、映画やショービジネスにかかわる人たちは卑しい人たちとみなされていた。職業差別である。したがって、金持ちの白人や上流階級の人たちは、映画やショービジネスに関わろうとしなかったし見向きもしなかった。そこに、ビジネスチャンスを見出したユダヤ人がうまく参入したということである。ミュージカル見るのに80ドルもかかるわけだから、貧しい人は見られない。ミュージカルは、今や高級な娯楽である。 ニューヨークでミュージカルを見たり、高級レストランに行ったりする人。おそらく、これもユダヤ人が非常に多い。ニューヨークの人口構成。ユダヤ人以外では、黒人(25%)が多く、プエルトリコ系、アジア系も多い。白人は少ない。貧しい人たちはミュージカルなど見に行けない。ユダヤ人はたいてい金持ちか中流階級んまで、ニューヨークでミュージカルを見る人におけるユダヤ人の割合は、かなりの割合に及ぶだろう。 (中略) そんな事情があるから、ブロードウェイのミュージカルには「屋根の上のヴァイオリン弾き」のようにもろユダヤ的テーマを扱ったものや、「レント」や「ヘアスプレー」のように主人公をユダヤ人したものが多いということになる。ユダヤ人観客に対するサービスである。 こんなブロードウェイとユダヤ人の関係を知った上で、「プロデューサーズ」を見ると、何倍も楽しめるに違いない。「プロデューサーズ」に隠された、ブラック・ユ-モアがよく理解できる。主人公のミュージカル・プロデューサーのマックス。そして会計士のレオがユダヤ人であることは言うまでもない。彼らは最大の失敗作を作り、製作費を持ち逃げしようとするが、予想に反して大ヒットしてしまう。彼らが最大の失敗作として選んだ脚本は「ヒトラーの春」というナチス賛美の作品である。そして、ウィル・フェレル演じるバリバリのナチス信奉者に主役を演じさせようとする。こんな親ナチ作品が、ユダヤ人観客だらけのブロードウェイでヒットするはずがない。しかし、結果は大ヒットである。最大の失敗作を作ろうと、最低の脚本と最低の俳優と最低の演出家を選んだのに、結果は大ヒット。ブロードウェイで大ヒットしている作品群への皮肉である。なんでこんな作品がヒットするの? という。 今回の再映画化の元になった1968年の「プロデューサーズ」の監督、メル・ブルックスはユダヤ人である。ナチスネタが大好きで、ユダヤ人の自虐的なネタもよく使う。 (後略) PR |
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2006 05,18 00:58 |
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大学で「アメリカ大衆文学史」を選択していた時分授業で観て、以来虜になってしまったこの映画は、私を本格的にミュージカル映画にはめた作品でもある。
Yahoo!Movie紹介ページ ミュージカルの金字塔と言われるこの作品の見所は、何と言ってもラストの20分近くに渡るダンスシーン。私の大好きなガーシュウィンの同名曲に乗って、ルノワールやロートレックの絵画をモチーフにしたセットの中を、ジーン・ケリーが踊りまくる。圧巻の一言だった。ストーリーそのものは他愛もないものなのだが、全てがラストのダンスシーンの為の“フリ”なのだからと、納得がいってしまうのだ。 ミュージカルシーンのクオリティーの高さや、ラストの突飛ながら幻想的なダンスシーンなど、この映画について語りたいことは山のようにある。その中で一番力をいれて語りたいのは、「この映画は、製作者の魂を感じる」ということだ。とにかく画面から、「俺たちは、こういうものが作りたかったんだ!」というのがひしと伝わってくる。ミュージカルにしろそうでないにしろ、そんな作り手側の魂を感じる作品に出会える喜びは、映画ファンなら共通のものではないだろうか。 この作品を観て以来、ミュージカルを選んで見ることも多くなった。ジーン・ケリーは今では尊敬する役者の一人。映画『レオン』でジャン・レノが映画館で彼の主演作『いつも上天気』を観ているシーンには妬ましさすら感じた。『いつも上天気』は日本ではDVD化されておらず、ビデオも廃盤になってる可能性があるからだ。観たい。ものすごく観たい。どうにかして観る術はないだろうか。 |
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2006 05,15 18:35 |
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ふと、語りたくなったので、語ってみる。育児で時間がなくなる以前、「新作ばっかりじゃなくて、古き良き名作もたまには観なくちゃ」なんて思って観た一本。
オールシネマ紹介ページ 観るまで、実はどんな映画なのかさっぱり知らず、知ってることといえばロバート・レッドフォードが主演だと言うこと、アカデミー賞受賞作だということぐらいだった。とにかく面白くて楽しい傑作。ストーリーは比較的派手なのにも関わらず、作品の作り方そのものに派手さが全然ないのがまた魅力。何か文句を書けと言われても全く何も思い浮かばず、逆に「痛快娯楽傑作」という言葉しか思い浮かばない。脚本・演出・配役・衣装・音楽・編集、どれをとってもほぼ満点。こういう派手さのない作品を、「不朽の名作」というレベルに作れるぐらいの力が、当時のハリウッドは持ってたんだなぁ、などと感心してしまう。 犯罪もののコメディが今後作られることになったら、この映画が評価の基準になるのだろう。要するに「『スティング』より面白い・つまらない」という言い回しが、その手の映画にはついてまわってしまうのでは、と。レンタルショップで悩んだら、是非手にしてもらいたい一本。 |
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2006 05,10 18:36 |
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基本的に、私は役者で映画を選んだりしない。その分、一度特定の役者に熱を上げてしまうと、浮気も出来ず、徹底的に惚れ込んでしまうというクセがある。そんな私が今一番熱を入れて惚れ込んでいるのが、ヘイデン・クリステンセンである。
Yahoo! Movieプロフィールページ 本格的に映画好きになってから気がついたのだが、どうやら私は、役作りに特徴のある役者さんが好みのようだ。例えば、役を冷静に分析しつくすジョディ・フォスター。例えば、「当たって砕け散れ!」と言わんばかりのアンジェリーナ・ジョリー。ヘイデンは役に“感情”から入っていくタイプの役者さんだ。そしてそれは、私が一番そそられるタイプの役の作り方だ。 彼にとっての役作りは「その時の感情ありき」のように思われる。理屈ではなく、その時点で“彼”(=自分の役)がどんな思いでいるのかをまず捕らえ、“彼”の持つ感情に、頭からのめりこんでいってしまう。当然役どころの性格やバックグラウンドも考慮しているが、ヘイデンにとって、あくまでもそれらは付加的なものであるような気がする。とにかく“彼”の感情に率先して感情移入してしまうので、観ているこちらは時に痛々しさすら感じてしまうのだ。 演技法の賛否は別として、私はこういう感情から役に入っていく役者さんが大好きだ。おそらくそれは、自分自身がものすごく感情的な人間だからだと思う。私は平凡な一児の(ダメ)母に過ぎないが、もし私が文芸にしろ絵画にしろ音楽にしろ映像にしろ、何かしらの創作的な職業に就いていたら、間違いなく頭から感情にのめり込むタイプの作家になっていただろう。要するに、役を感情で表現する彼の方法に共感できるし、それだけの表現力を持った彼が、愛しくてたまらないのだ。 『スター・ウォーズ』のアナキン・スカイウォーカー役で御馴染みだが、彼の作品は勿論『海辺の家』も『ニュースの天才』も目を通した。いづれにも共通して「泣く」シーンが出てくるが、あれだけ涙に痛ましさを感じさせる役者は、あの年代では他にいないのではないのだろうか。ちなみに演技として一番評価できるのは『ニュースの天才』だと私は考えている(映画の出来そのものは到底評価できないが)。『海辺の家』ではゴールデングローブ賞にもノミネートされているが、あちらは共演者のケビン・クラインやメアリー・スティンバーゲンに引っ張ってもらった部分もあると思うので。『スター・ウォーズ』に関しては、「人間ドラマを撮るのが苦手」と自らが認めるジョージ・ルーカスが監督だったことが悔やまれる。これが役者の感情を切り取るのに長けた人がメガホンを撮っていてくれたら、彼の感情の演技がもっと引き立っていただろうに。 柄にもなく小難しいことを並べ立ててしまったが、私が彼に惹かれる重要なファクターの中に、あの美しいばかりの容姿と、引力を感じる魅惑的な瞳があることは、しっかり補足しておかなければ。初めて彼と出会った『スター・ウォーズ エピソード2』を観終わった直後、友人と「あんな美しいひとが生を受けて息をしてるなんて、この世の奇跡だ!」などと劇場前で叫んでいた事実を、私は決して忘れない(笑)。 ヘイデンは『エピソード3』の後、『AWAKE』『Decameron』『CRASH BANDITS』と新作が続いているが、封切情報だけが伝わらない。ヘイデンファンの悲しき日々は続く。 |
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2006 05,04 00:12 |
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GWで帰省中なのをいいことに、レディスデーを利用して二本観てきた。次はジョニー・デップの『リバティーン』。
公式サイト 製作国=イギリス 姉の評価=★★★★☆ かなり壮絶な映画であった。観るべきものは多いが、まず何よりジョニー・デップ。注目され始めた頃、「ルックスとフェロモンが売りのいけすかねえ野郎」と思っていたことを、土下座をして謝りたくなった。『パイレーツ』から去年の『チョコレート工場』、そして本作と、ここまで何でもかんでもやってくれる役者さんだったとは。 スチュアート朝時代の実在の人物ロチェスター伯爵の、破天荒な人生を描いた作品。嫌悪感を抱くほどに忠実な時代描写にジョニーの執念の如き役作り、それにロチェスターという人物の存在が濃厚に重なって、観る者をじっくりと引きつける。ロチェスターを受け入れるか拒絶するかを、観客に委ねきってるオープニングとラストも気に入った。 にも関わらず★ひとつ減なのは、やはり終盤の詰め込み感である。先にもこのブログで書いた「伝記映画のジレンマ」を、残念ながらこの作品でも感じでしまったというわけ。この映画をじっくり味わう為には、ロチェスター伯爵のことを予習してから行く必要があるだろう。鑑賞予定のある方は、上記公式サイトの「コラム」に目を通してから行かれることをオススメしたい。 ジョニー・デップのことばかり書いてしまったが、サマンサ・モートンもこの作品の注目すべきところ。『CODE46』で見せた、ボーイッシュなんだけど守ってあげたくなるような不思議な魅力は、近未来から17世紀に舞台を移しても健在。 |
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